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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)667号 判決 1965年7月16日

原告

江端とく

江端定子

江端一雄

右一雄法定代理人親権者

江端とく

原告ら代理人

坂根徳博

被告

駿遠運送株式会社

右代表者

吉田広一

代理人

浅野繁

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は「1被告は原告江端とくに対し金二、〇七〇六、九八八円およびうち金二、四一八、七六四円に対する昭和三八年七月一日以降支払ずみにいたるまで年五分の割合による、原告江端定子および原告江端一雄に対し各金二、二五九、一五四円およびうち金二、〇一八、七六六円に対する右同日以降支払ずみにいたるまで年五分の割合による各金員を支払え」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、次のとおり述べた。

(請求の原因)

一、昭和三八年六月一五日午前四時四五分頃、東京都台東区豊住町一二番地先道路上において、訴外栗田八十二の運転する大型貨物自動車(登記番号静一う六九六、以下「被告車」という)と訴外江端幸七の運転する第一種原動機付自転車(以下「原告車」という)が接触し、このため訴外幸七は胸腹腔内臓器損傷の傷害を受けて同日死亡した。

二、被告は訴外栗田の雇主で、被告車の所有者であり、訴外栗田は被告の業務のため被告車を運転中第一項の事故を惹起したものである。従つて被告は被告車の運行供用者として本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。<中略>

(抗弁に対する答弁)

一、被告の主張する免責事由はすべて否認する。本件事故は被告車の運転手である訴外栗田が事故現場路上交差点において左折するにあたりその合図および減速を怠り、事前に道路の左側に寄ることもなく、被告車の左側を並進中の原告車に何等の注意を払わないで、いきなり左折を開始したことにより被告車の左側部と原告車が衝突し、そのため路上に転倒した訴外幸七を被告車が左後車輪で轢過したことによつて発生したもので、訴外栗田の過失は明らかである。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、次のとおり述べた。

(請求の原因に対する答弁)

一、請求の原因第一項の事実は認める。

二、同第二項の事実は認めるが、後述する抗弁事由が存在するから、被告には損害賠償責任はない。<中略>

(抗弁)

一、自賠法第三条但書の免責事由の主張

(一)  被告および被告車の運転手訴外栗田、同訴外田中勉は被告車の運行に関し注意を怠らなかつたものであり、本件事故は専ら訴外幸七の過失によつて生じたものである。すなわち、

1 被告は訴外栗田の経歴ならびに運転技術を調査の上同人を運転手として採用したものであり、しかも毎日午前八時に始業点呼を行ない、安全運転をするよう注意訓示を与えておりまた始業時と終業時には必らず車体検査を行なわせ、さらに過労運転防止のため必らず運転助手を同乗させていたほか、被告車にタコグラフを取付け、機械的な運行管理を実施していた。

2 本件事故現場は北千住、水天宮間の都電が昭和通り上野から三ノ輪方面に向い左に別れる交差点で、右交差点の南方約五〇米の地点には都電下車坂停留所があり同所も交差点となつていて信号機が設置されている。

訴外栗田は被告車を運転して上野方面から北進し下車坂交差点で信号待ちした後、発進し、時速約一五、六粁で進行し本件交差点を左折する予定であつたので、右交差点の手前約三〇米の地点で方向指示器による左折の合図をした。ついで訴外栗田は右交差点の手前二、三〇米の道路左端に駐車中の乗用車の右側をすれすれに進行し、その際自らは被告車の左側バツクミラーで、同乗中の運転助手訴外田中勉は同車の窓から夫々被告車の左側の安全を確認したが、並進車を認めなかつたので、そのまま進行を続け前記交差点において小まわり左折を開始したところ、被告車の真後に追従していた原告車の運転者訴外幸七の前方不注視、車間距離保持義務違反の過失により、原告車が被告車の真後に追突し、本件事故の発生をみるにいたつたものである。

(二)  被告車には構造上の欠陥、機能の障害はなかつたものである。

(証拠)<省略>

理由

一、請求の原因第一項の事実(事故の発生による訴外幸七の死亡)および同第二項の右事故は被告の被用者たる訴外栗田が被告所有の被告車を被告の義務のため運転中惹起したことは当事者間に争いがない。

二、被告は自賠法第三条但書の免責事由を主張するので、この点について判断する。

(一)  <証拠>を総合すれば次の1ないし7の事実が認められ、この認定に反する<証拠>は前掲各証拠に照らし措信できず、他に右認定に反する証拠はない。

1  本件事故現場は国電上野駅前から北方三ノ輪方面に通ずる通称「昭和通り」の、上野駅前から北方約六〇〇米の地点であるが、右道路上には水天宮、北千住間の都電が走つていて、事故現場附近で西方に分れる交差点となつている。現場附近を南北に通ずる昭和通りはアスフアルト舗装で車道巾員は約二二米(中央部には右交差点にいたるまで都電軌道敷がある)で両側には約五米の歩道がある、右交差点で西方に分れる都電通りはアスフアルト舗装で本道巾員は約一八米(中央部には都電軌道敷がある)で両側には巾員約四、四米の歩道が続いている。右交差点の南方約五〇米の地点が都電下車坂停留所の交差点となつており、ここには信号機が設置されているが、事故現場の交差点には信号機は設置されて居らず、人家が櫛比しているため左方面への見通しは良好でない。事故現場附近の交通量は、昼間は非常に多いが、事故当時は早朝のため極めて閑散であつた。

2  被告会社の被用運転手栗田および田中は当初田中が運転して被告車により事故前夜静岡市を出発し横浜市内で栗田が運転を交替して東京都内に入り翌一五日午前四時四五分頃台東区下根岸所在植竹シール印刷に赴くべく、昭和通りの左側車道上を北進し下車坂交差点で一旦停車した後、事故現場となつた交差点で坂本二丁目方面に向け左折する予定であつたので、時速約二〇粁で進行を開始し右交差点の手前約三〇米で方向指示器による左折の合図をはじめ、道路左側端から約二米の間隔を保ちながら進行を続け、同交差点の手前二〇米の道路左端上に駐車中の乗用車の右側をすれすれに通過し、その間前方左右に先行車、並進車は見当らずさらに本件交差点で左折するにあたつても左側に何らの障害物も見出さなかつたので、そのままの進路で本件交差点にさしかかり、左折を開始した途端に被告車の後部に訴外幸七の運転する原告車との衝突音を聞いたので危停車の処置をとりその結果、被告車は右交差点の西方にある横断歩道をやや越えた都電軌道敷の中央部附近に停止した。

3  原告車と被告車の最初の接触地点は右交差点入口左側歩道上にある電柱(三の輪四一)から八、八米、前記横断歩道の南側歩道上に存する電柱(三の輪四三)から一四、一米、同交差点の南西部彎曲点から三、三八米の地点であり、事故直後原告車は右接触地点から北西約一八、四米の都電軌道と横断歩道が交わる地点に転倒していた。その附近の軌道敷内に原告車に積載されていたハンマー、鞄、シヤツが散乱し、幸七の転倒位置附近に原告車が引きずられてできた長さ〇、三ないし〇、五米の擦過痕が数条あつた。訴外幸七の転倒位置は右接地点から北西約五、四米の地点であり、右接触地点附近には原告車のブレーキ痕は残つていなかつた。

そして事故後の被告車には荷台後部中央辺の下部に取付けられたスペアタイヤの右側に一〇糎×一五糎の擦過痕が刻され、さらに二輪が一組として取付けられている右側後車輪タイヤの内側部分にも一〇糎×一〇糎の擦過痕が残されていた。

4  原告車は本件事故によりハンドル部分を起点として全体にねじれ、特にその前輪に著るしいねじ曲りを生じた。

5  亡幸七の本件事故による受傷の内容は右頬部、腹部、左膝関節部等の擦過傷および胸骨中央部、左右肋骨骨折等で、その死因は胸腹腔内賍器損傷である。

6  亡幸七は前夜一〇時頃より事故当日の午前四時頃まで徹夜作業に従事し、原告車に乗車しての帰途本件事故に遭つたもので、前記交差点を三ノ輪に向けて直進するのが路順であり、かつ当時の交通状態は極めて閑散であつたことに照らし、制限速度三〇粁を上廻る相当高速で進行していた。

7  被告車は積載重量八トンの大型貨物自動車で、その車巾は約二、五米、全長約八、六米、全高約二、七米荷台後部のあおりを上げた状態におけるあおり上端までの高さ約一、八米ある。

原告車は第一種原動機付自転車で最大車巾(ハンドル巾)約〇、五四米、全長約一、七米、座席までの高さ約〇、七四米ある。

以上の認定事実を総合すると、亡幸七は、原告車を運転して、先行車である被告車の速度を相当上廻る速度で被告車に接近したのであるが、被告車の存在およびその動向に十分注意を払わなかつたため、原告車を被告車の後部中央部に追突させ、本件事故の発生をみるに至つたものと認めるのが相当である。ところで、前記認定によれば被告車の運転手である訴外栗田および助手席に同乗していた訴外田中らは本件交差点における左折に際し約三〇米手前より方向指示器による左折の合図を続け左側に並進車等の障害物のないことを確認して左折を開始したというのであるが、その際さらに後方の安全を確認したことを認めるに足りる証拠は存しない。しかしながら前認定のように本件事故は被告車が左折を開始すると略々同時に発生したものでありその追突部位は被告車の後部中央部であることおよび前記7認定の両車輛の大きさ、高さの差異を考慮すると前記時点において栗田、田中らが後方の安全確認を尽したとしてももはや原告車の存在を認め得ない程に原告車は被告車に接近しかつ被告車の両外側線内に位置していたものと認めるのが相当であり、従つて栗田らが本件交差点において左折を開始するにあたり、後方の安全を確認しなかつたとしてもこれを目して本件事故と因果関係のある過失となすを得ない。また前記認定によれば被告車は本件交差点の手前二、三〇米の地点から交差点に入るまで道路左側端より約二米の間隔を保ちながら進行を続けたというのであるが、前記認定の本件交差点にいたるまでの道路の巾員、交差点手前左側路上における駐車中の自動車の存在および被告車輛の大きさを考えると右程度の間隔を残しての進行も道路交通法第三四条第一項に違反するものとはいい得ず、しかも右諸事実はすべて後続車である原告車の十分に認識し得るところであるから、被告車において前記のように左折開始の約三〇米手前で左折の合図をしている以上右の進行方法に本件事故発生の原因たる過失が存するともいい得ない。

そして自動車運転者はつねに法定の速度を遵守するとともに前方、左右を注視し、特に先行車の直後を進行する後続車の運転者は前者が減速、停車したときでもこれとの追突を避け得るに足る距離を保持するとともに本件事故地点のように交通整理の行われていない左への見通しのきかない交差点に近づいたときは減速、徐行し事故の発生を未然に防止すべき義務を負うものであり、亡幸七がこれらの義務を尽したならば本件事故の発生はたやすくこれを回避し得たものと認められるところ、前記認定事実を総合すると亡幸七はこれらの注意義務に意を用いず、徹夜作業の帰途制限速度三〇粁を相当上廻る速度で進行し、その間過労のため前方への注視を怠たり、先行する被告車の左折の合図に気づかずその後部に追突するに至つたものであると認めるのが相当である。以上を要するに本件事故の発生については前記栗田、田中らに何らの過失もなく、本件事故は亡幸七の前記注意義務を怠つた一方的過失によるものと断ぜざるを得ない。

(二) <証拠>を総合すれば、被告は運転手の採用に際しては、履歴書、運転免許証を提出されるほか、実技、構造の試験、面接試験クレペリン検査を実施したうえ三ケ月の仮採用期間を経た後、本採用していること、毎日始業に先立ち自動車の点検を実施しているほか、被告車にタコグラフを備えつけて、機械による運行管理の方策も講じていることなどの事実が認められ、右認定事実によれば、被告は被告車の運行に関し注意を怠らなかつたものと認められる。

(三) <証拠>によれば、被告車には当時構造の欠陥、機能の障害はなかつたものと認められる。

三、以上のとおりであるから、被告の主張する自賠法第三条但書の免責事由はすべて立証されたものというべく、原告らの本訴請求はその余の判断をするまでもなく失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。(鈴木潔 吉野衛(転補のため署名捺印できない)梶本俊明)

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